28 とうとう...きがふれた?どん底・・・とうとう...きがふれた?公園でトカゲの子を拾った。 コカコーラの壜(びん)で育てていたら、成長して壜から出られない。 お前に、その壜を壊して自由を手に入れる力はないだろう。 ・・・俺が壜を壊すのに、 命を掛けるほどの価値があるのか? 我が祖国日本(にっぽん)よ・・・ 『うつ』と云うことで、 働きもせず、部屋に引き篭(こ)もり・・・ 生まれて初めて、全ての束縛から解放された気分でいる。 休職手当が支給され、当面は「喰うだけ」なら困らない。 ・・・それも、あと数ヶ月の話だが。 そのため・・・ 如何しても「思惑」が先行してしまう。 CATVを観ていたら、冒頭の台詞に突き当たる。 だから・・・ 今回の日記は、非常に「観念的なもの」になる。 寺山修司が著書『書を捨てよ町に出よう』を自身で監督した作品の一場面である。 ・・・ATG配給。 そして・・・ 俺の夢は空を飛ぶこと。 だから人力飛行機を作っている。 疲れて薄暗い部屋に戻って・・・ 人力飛行機に乗る夢をみる。 人力飛行機を・・・ 作っているのが夢なのか。 乗って空を翔(かけ)るのが夢なのか。 漠然として・・・ ドチラが夢なのか分らなくなった。 ただ・・・ 空を飛ぶ人力飛行機は墜ちていく。 ・・・どこまでも。 「コカコーラ壜」の話は、 井伏鱒二の『山椒魚(さんしょううお)』を。 ・・・『山椒魚』は「洞窟」だが。 「人力飛行機」の話は、 中島敦の『山月記(さんげつき)』を。 ・・・『山月記』は「虎」だったか「蝶」だったか。 夫々に意識したのだろう。 朝4時半過ぎ、眼が覚めて直ぐ観るには、 ・・・少々「きつい」内容である。 「ハダカ」満載のエロ映画にしておけば良かった・・・。 誰でも「パクリ」の「ネタ元」くらい直ぐに判るだろう。 でも、 その「思考の方向性」が・・・非常に私に似ている。 自虐的な私である。 ・・・思わず検証してみたくもなる。 『現実』と『夢』の「曖昧さ」については・・・ 著書『方法序説(ほうほうじょせつ)』で「我思う、故に我あり」なんて仰(おっしゃ)ったデカルトさん に・・・一先ず、お預けしたい。 各自、この書籍を読んで勉強するように! なんて・・・何故、私は逃げる? 英国の数学者ルイス・キャロル著作『不思議の国のアリス』作中挿話「『世界』を夢見る王様」でも好いよっ! ・・・私もコチラしか読んでいないのだから。 まあ・・・ 「コカコーラ壜」の話である。 何故、私がコレに拘(こだわ)るのか。 寺山修司に限らず、私自身「祖国日本」を強烈に意識してきた。 でも、 それが「コカコーラ壜」なんだって意識が非常に希薄だったのだ。 その「壜」の『虚無(きょむ)性』が如何に強固なものか、 改めて思い知らされ、ゾッとした。 吉本隆明著『共同幻想論』から、 「国家は、従属する国民の共同の幻想に過ぎない」 なんて、遠(とお)の昔から判ってたコトじゃないか。 それなのに『映像』を突き付けられるまで、実感できないなんて・・・ ホントに御目出度い男だ・・・私って。 「祖国日本」の実態なんて何処にも在りはしない。 「日本」と意識した途端に、強固な「コカコーラ壜」が出現して、 その中から逃れられなくなってしまう・・・「トカゲの子」のように。 ・・・「コカコーラ壜」なんて、「元々からは存在してなんかいない」のだ。 幼少期の家庭生活、 下宿した学生時代、 就職生活、 結婚生活。 なんて・・・ 全て無意識のうちに、自分自身で勝手に作った、 ソレゾレの「コカコーラ壜」の中で生きてきた。 『束縛』からの解放を、常に夢見ている癖に、 ・・・『束縛』からの解放に不安を感じる。 結局、人間なんて、 この『二律背反(にりつはいはん)』の中でしか生きられないのか。 そして・・・ そこで感じる「仕合わせ」や「哀しさ」にドレ程の価値があるのだろう。 全てが『虚無の産物』に過ぎないじゃないか。 今、漸く最後の『うつ』なんて云う「コカコーラ壜」が消えて無くなった。 この『束縛からの解放』に続くのは、 『本当の自由』なのか、それとも・・・ ・・・新しい「コカコーラ壜」なのか。 まあ、人生なんて・・・ 所詮は「何処までも墜ちていく人力飛行機」でしかないのだろう。 余り気にしても仕方ないか・・・ |